バルコニー (マネの絵画)
『バルコニー』(英語: The Balcony)は、エドゥアール・マネが1868年から1869年に制作した絵画。
制作 本作品の着想源は、マネがルーヴル美術館のスペイン・ギャラリーで見たフランシスコ・デ・ゴヤの『バルコニーのマハたち』であると思われる。本作品は、これを下敷きに、現代のブルジョワの都市生活を描き出した作品である。
マネの『バルコニー』には、マネの親しい人物をモデルにして、前景に3人の人物が描かれており、背後の暗がりにもう1人の人物が描かれている。
左側の女性のモデルは、画家ベルト・モリゾである。ベルト・モリゾは、はじめジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事していたが、ルーヴル美術館でマネと出会い、画家アンリ・ファンタン=ラトゥールの紹介で親しくなった。マネの絵画のモデルとして度々登場する。後には印象派グループ展に参加し、1874年にマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚することになる。彼女は、フランス窓の開け放たれたバルコニーの手すりに肘をかけて座っているところが描かれている。
右側の女性のモデルは、ヴァイオリニストのファニー・クラウス (Fanny Claus) である。彼女は、マネの妻でピアニストだったシュザンヌ・マネの演奏仲間であった。彼女は、手袋を取ろうとしているところ(あるいは出かける前に手袋をはめようとしているところ)が描かれている。
2人の後ろに立つ男性のモデルは、マネの友人の画家アントワーヌ・ギユメである。
部屋の奥で水差しを持っている若い男性がかすかに描かれているが、これはレオン・コエラ=レーンホフである。レオンは、マネがシュザンヌと結婚する前に生まれたマネの子である可能性が高いと思われるが、マネは結婚後もレオンを認知しておらず、関係性には謎が残っている。
来歴 マネは、1884年、オテル・ドゥルオの売立てで本作品を売りに出した。これをギュスターヴ・カイユボットが購入した。
カイユボットは、1894年に死去したが、自分のコレクションをフランス政府に遺贈し、リュクサンブール美術館、後にルーヴル美術館に収蔵するようにとの遺言を残していた。しかし、これが保守派の反対に遭い、結局、コレクションの一部のみが受け入れられることとなった。本作品は、受け入れられた作品の一つであり、1896年以降、リュクサンブール美術館に展示された。
1929年、ルーヴル美術館に移管された。1986年にオルセー美術館に移り、以後、同美術館に展示されている。