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最後の晩餐 (レオナルド)

『最後の晩餐』(さいごのばんさん、伊: L'Ultima Cena, 略称 : Il Cenacolo)は、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の一つ。キリスト教の新約聖書のうちマタイによる福音書第26章 やヨハネによる福音書第13章 等に記されているイエス・キリストと12使徒による最後の晩餐を題材としたもので、「12使徒の中の一人が私を裏切る」とキリストが予言した時の情景が描かれている。

絵は、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なものである。レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。ほとんどの作品が未完とも言われるレオナルドの絵画の中で、数少ない完成した作品の一つであるが、フレスコ技法ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描かれたことや所在する環境から最も損傷が激しい絵画としても知られている。また、遅筆で有名なレオナルドが、3年という彼にしては速いペースで仕上げた。「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」として、世界遺産に登録されている。

レオナルドは遠近法、明暗法、解剖学の科学を駆使し、それまでとはまったく違った新しい芸術を生み出した。

構図 絵画は当時食堂だった部屋の壁面に描かれており、床から2m程の高さから上に描かれている。一点透視図法を用いて部屋の様子が立体的に描かれており、ある位置から見ると、絵画の天井の線と実際の壁と天井との境目がつながり、部屋が壁の奥方向へと広がって見えるよう描かれている。絵の下端に床の縁のようなものが描かれており、絵の部屋の形状が異様なことから、最後の晩餐の様子を演じた舞台の様子として描いているとも言われる。なお、晩餐の画面の上方にある、紋章や花綱が描かれたリュネット(半月形の装飾)もレオナルドの筆である。

一点透視図法の消失点は、中央にいるキリストの右のこめかみの位置にあり、洗浄作業によってこの位置に釘を打った跡が見つかった。 こめかみの位置に釘を打ち、そこから糸を張ってテーブル、天井、床などの直線を描いたと考えられている。12人の弟子はキリストを中心に 3人一組で描かれており、4つのグループがほぼ等しい幅を持つよう左右に等しく配置されている。これらの配置はまた、背景の分割によってより明確になるよう描かれている。キリストの顔や手などには未完成と思われる部分もある。弟子たちは顔よりも手の形によって表情が表現されており、様々な手の表現がこの絵画の大きな特徴の一つである。

人物の同定 キリストの向かって左の人物は定説では使徒ヨハネとされる。他の使徒(弟子)がキリストの言に驚いて慌てた仕草をしているのに対してこの人物は(モナリザのように)手を組んで落ち着き、哀しそうな顔をしているようにみえる。また青い服に薄赤のマントの人物はペトロの言葉に耳を傾けるように描かれており、ヨハネによる福音書13章23-24節の、ペトロがヨハネに問いかけている場面を絵画化したと見るのが穏当であろう。ただし同書で同人物は「イエスの愛しておられた弟子」と記載されており「ヨハネ」の名は無い。

描かれている人物は、以下のように同定するのが通説である(向かって左から、顔の位置の順番に記す)。

バルトロマイ - テーブルの左端、つまりイエスからもっとも離れた位置におり、イエスの言葉を聞き取ろうと立ち上がった様子に描かれている。

小ヤコブ - イエスと容貌が似ていたとされる使徒。左手をペトロの方へ伸ばしている。

アンデレ - 両手を胸のあたりに上げ、驚きのポーズを表す。

イスカリオテのユダ - イエスを裏切った代償としての銀貨30枚が入った金入れの袋を握るとされる。ただし、マタイによる福音書では、イエスを引き渡した後で銀貨を受け取ることになっていたが、レオナルドは、聖書にある「手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る」の表現が難しかったためではないかと言われている。

ペトロ - 身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに何か耳打ちしている。

ヨハネ - 十二使徒のうちもっとも年少で、聖書では「イエスの愛しておられた者がみ胸近く席についていた」と記されている。中性的顔立ちと『ダ・ヴィンチ・コード』の影響からか女性と思われがちでマグダラのマリアではないかという説が浮上したが、それはこの作品を問わずレオナルドに良く見られる画風である。(ヨハネによる福音書13章23節)

イエス

トマス - 大ヤコブの背後から顔を出しており、体部は画面ではほとんど見えない。右手の指を1本突き立てているのは、「裏切り者は1人だけですか」とイエスに問い掛けている姿と解釈されている。左手はよく見るとテーブルの上に置かれている。

大ヤコブ - 両手を広げ大袈裟な身振りをしている。

フィリポ - 両手を胸にあて、イエスに訴えかけるような動作をしている。

マタイ - テーブル右端のマタイ、タダイ、シモンの3名は互いに顔を見合わせ、「今、主は何とおっしゃったのか」と問い掛けている風情である。イエスから離れた位置に座る彼らにはイエスの言葉がはっきりと聞こえなかったのかもしれない。

ユダ (タダイ)

シモン

歴史 500年以上もの期間、この損傷を受けやすい絵画は失われずに残っている。しかし決して保存のための注意が払われてきたわけではない。描かれた当時からこの部屋は食堂として使用されており、食べ物の湿気、湯気などが始めにこの絵を浸食する原因となった。

16世紀から19世紀にかけて、損傷や剥離部分について複数回の修復および剥離部分の書き足しなどが行なわれた。大規模なものは5回記録されている。19世紀までの修復は修復者のレベルにばらつきがあり、あまり良い結果を生んでいない。

過去の修復者は画面の剥落を防ごうとして、ニカワ、樹脂、ワニスなどを塗布したが、結果的にはこれらを塗ったことによってますます埃やススが画面に吸い寄せられ、画面は黒ずみ、レオナルドのオリジナルの表現はわからなくなっていった。また、通気性の悪くなった画面には湿気がたまり、カビの発生を招いた。さらに、こうして塗られたニカワや樹脂がオリジナルの絵具もろとも剥離する現象もおき、修復がさらなる破壊を生むことにもなった。18世紀の修復では大規模な補筆が行われ、レオナルドの表現意図がいかなるものであったかが次第にわからなくなっていった。19世紀の修復家は壁画自体を壁からはがそうとして失敗し、壁面に大きな亀裂が走った。

また、17世紀には絵の下部中央部分に食堂と台所の間を出入りするための扉がもうけられ、その部分は完全に失われてしまった。17世紀末、ナポレオンの時代には食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。この間、ミラノは2度大洪水に見舞われており、壁画全体が水浸しとなった。

1943年8月、ファシスト政権ムッソリーニに対抗したアメリカ軍がミラノを空爆し、スカラ座を含むミラノ全体の約43%の建造物が全壊する。その際にこの食堂も向かって右側の屋根が半壊するなど破壊されたが、壁画のある壁は爆撃を案じた修道士たちの要請で土嚢と組まれた足場で保護されていたこともあって奇跡的に残った。その後3年間屋根の無い状態であり、風雨にさらされないよう、また、壁だけで倒れないようそのまま土嚢を積まれてはいたが、この期間にも激しく損傷を受けている。建物は設計図が残っていたため、そのまま復元された。

制作当時に奇跡の絵画と呼ばれたが、以上のような経緯から、現在では存在自体が奇跡だと言われている。

c. 1495-c. 2007
Tempera on gesso, pitch and mastic
Q128910
画像とテキストは Wikipedia, 2023 から提供